友人と分厚くてふわふわのパンケーキを食べに行った。回転焼きみたいにころんとしていて、食べるとほどけるように消えていくやさしい食べ応えのやつ。チョコレートソースもホイップクリームもできあいじゃなくて、ドイツ茶葉のおいしいロイヤルミルクティがあって、店内は少し寒いけれど店員さんの配慮があって、とても良いお店だった。

でもパンケーキとしては噛みごたえのあるものの方が好きだな。ふわふわタイプは初めて食べたけれど、わたしは卵よりも小麦の味がするものがいい。あと久しぶりにまともに一食分摂ったものだから胃も腸も痛い。かえってハワイアンなしっかりパンケーキを食べたい気持ちになっているのにしばらくはダメかも

 

ひとと会って、話すことは、相手が誰でどんなに楽しい時間であっても、わたしにとっては消耗になってしまう。心遣いがうれしくて、それを伝えたいから会いたいと思うし、まちがいなくありがたいことなのだけど、それはどうしようもなくて、帰ってくると疲れている。そういうシステムで動いている体だから仕方ないのだけど、願わくば刺激で充電されるタイプに生まれたかったな。

 

モグワイのライブに行くかまよってる。

めはなくちから夜が染み込む

自分はどんな人間か?ということを久しぶりによくよく考えている。どういう傾向があって、なにをできるのか、できないのか。好むのか忌避するのか。夜遅くに染まったような雨の湿気を吸い込みながら、本の匂いのするカフェで人もまばらな往来を眺めること。ぼんやりとバスを待ちながら、わたしは本来こういう時間を欲しているのだったと思い出し、それを失って代わりに何を得ているんだろう。

いま発想としては両極端のまんなかにいて、失敗ばかりの生き方をいい加減思い切り舵を切って別人のように向上を目指していくべき限界なのか、諦めきれないものに時々痛みをおぼえるのをやり過ごしながらゆっくりゆっくり死ぬまで生きることを受け容れるのか。いつもくよくよ悩んでいるわりには、この右か左かの岐路には立ったことがなかった。

変わりたいような変わりたくないような、変われないような疲れたような、飽きてしまって退屈なような。

考えることはたくさんある。焦っても仕方のないポイントを過ぎてしまったので、それでも早いに越したことはないのだろうけどバタバタしてうまくいったこともないし、ダラダラ先延ばしにするのと違う、きちんとケリがつくまで考えることをしなければ。

縫い目の破たん

20代が後半になった頃、自分はきっと30になれば気が楽になると思っていた。実際なってみると、しがみつけるものもなく言い訳もできず、変わらない幼さを指摘され、生きているのがより辛い。しんどい。マジか。なんかもう頭も悪くなっちゃうよね。もともとよくないけど。

気付いたのは、なにかしら自分というものに因ったなにかを持てる気でいたのだなぁということ。研けば使えたものも無くはなかったのかもしれないけれど、けっきょくダラダラ生きてきて持ち駒などなにもない。ことばも、身体も、なに一つ専門的には扱えない。


息吹く音に埋もれる

あと半年ほどで30になる。30年かけてすっかり空っぽになったなぁと改めて感じる。いや、十代の頃はそれなりに自分のなかを掘削していたように思うので、正しくはこの10年くらいかな。石も油田も温泉も出なかったのよ、残念ながら。掘るとこ間違ったのか方法を誤ったのか不毛の地だったのかわからないけども。

 

自分のなかに何もないからこそ、想いや物語を丸ごと体の中に入れて、大げさに感動したり共鳴したりするのかもしれないけど。というのは昨日ライヴ観てて思いついたこと。ふだんがらんどうの胸のなかに、どれだけ彼らの音が響くことか。フラスコに水が満ちて、細くなった首を越えて溢れるみたい。もうこれくらいしか残ってないんだよ、と思ってくるしかった。縋りついてみっともないけど、心の中だけだからゆるしてね。

 

作ってしまったしがらみの清算がしばらく終わらないから、それをお支払いするとして、そしてわたしは迷惑をかけることなく終わっていけるのかしらと、それが心配。ややこしい年寄りになったらどうしよう。ままならない身になったりしたら、いやだなぁ…

 

死ぬまでの空白を埋めるだけのことなのだから、と思う。なにも大したことないやって。

生まれた瞬間が100で、生きたぶんだけ目減りしていく。それを目の当たりに見るのがつらいだけ。

 

 

 『シュガータイム』小川洋子

文章の湿度が高い。終盤に唐突にでてくるタイトルワードが浮いているような気がする。


『密やかな結晶』小川洋子

小川さんでなければこんな物語作れないのではないかと思う。この人の持つ世界がとても好き。上のもだけど時々あまりにも女性的な湿度の高さが重たいことがあって、この粘性があってこそなのか…

 

『夜明けの縁をさ迷う人々』小川洋子

『刺繍する少女』小川洋子


『ギフテッド』山田宗樹

こういうのあまり読まないからかもしれないけど、すごく稚拙に感じた…読み口が軽妙なのと、深みがないのとは違う。物語の環も閉じてないし、いくらでも掘り下げて書けそうな題材なのにもったいない。


『クリスマスキャロル』ディケンズ

訓話も古典だとすんなり読める。聖書圏の人たちにとって当たり前の、神様やイエスキリストという感覚がやっぱりわからないので、たくさん触れるしかないのかなぁ。

 

銀の匙中勘助

美しい文章が淡々と綴られているだけ、そのだけ、の力がすごい。穏やかな日々をパラパラめくっていく中で色が煌めくよう。生まれて初めて桃にドキドキした。

 

『死後の恋』夢野久作

『まちあわせ』柳美里

 

 

頻度が下がっていつ何を読んだのかわからなくなってきたので箇条書き。追記します。

いつになく意識がふわふわしていて、ん?これは夢か?起きているのかきちんと?と考えているのだけど、いまのところ途切れることもなく続いているので、たぶん起きてる。きっとさまざまに気を取られているせい。あれもこれも取りたいからだ。

 

ぼんやりしていると気づけば昔のことを想っている。マクドナルドでバイトしていた高校生の頃に大学生の先輩が怖かったこととか。その先輩の歳もとうに通り過ぎてしまって、何を言われたってせいぜいハタチくらいの女の子なのに、何を怯えていたんだろうなぁと思う。そして色んなことが希釈されて密度が下がってゆく時間の重なりがまた明らかになって、ため息が出てしまう。これはそのうち乗り越えられるんかな。

血が薄くなり骨密度が下がるように、髪が減りからだが弾まなくなるように、時間がおとろえていく。済ませた時間が増えるほど、迎える時間の分母が増えて、小さく小さくなっていく。それをじっと見つめてる。途切れない蟻の列を眺めるみたいに。

 

かなしくない。おそろしくもない。虚しいなぁと思う。いくら理由や諦めをこしらえて持ってきたところで、「それで?」という問いがずっとプカプカ浮かんでいる。

何を見て、どこへ歩いていけばいいのかなぁ。

眠りたい、とろりとした粘着質の液体に目も鼻も口も塞がれて、縦も横も奥行きも時間もないところに行きたい。