泡沫のような

もともとキャパシティが標準より小さめで、余裕がなくなるだろうことはわかっていたけど、それでも落ち着いてきたかな遊ぼうかなというころ、腎不全のネコの尿毒症が急激に悪化して、一時は昏睡状態になって、持ち直した!ご飯食べた!と喜んだ翌々日には網膜剥離を起こして目が見えなくなり、それからやっぱり徐々に弱っていくのを見ながら、研修であっちこっちに飛ばされています。 

かなしみは、心臓が外側から剥がれていくような痛み。 
あまりにもベッタリと寄り添って生きてきたので、いなくなったらどうしたらいいのかわからないから、どうしても死んでほしくなくて、病院に通いつめているんだけれど、休みの日に一日一緒にいると、もしかしたら病気しながら生きていることのほうがネコにとっては辛いだけなのかもしれないと思って、また頭がグルグルと回りだす。 
ネコぐらいペットぐらいと思う人のほうが多いのかもしれないけど、誰よりも近くにずっと一緒にいて、こんなに私を好きでいてくれる(感情の仕組みが違うというなら、ただ懐いているというだけでもかまわない)唯一の存在だから、割り切ったりできない。 
仕事に行っている間に一人で苦しんで死んでたらどうしようとか、朝見えてないくせによたよた玄関まで寄ってきて甘えてくるのを放って出かけるとか、そういうことですごく削り取られて、本当によゆうがない。「どうしたんめっちゃ不細工なってるで!」と同期の子によく言われます。 

自分のために動物を飼い馴らす代償と言えば、それまで。でもかなしむのはゆるしてほしい。かけがえなくて愛しくて、それは嘘じゃないのだ。 


「なんだペットくらいで」と、みんな言う。そんなことよりも恋人とのうまくいかない関係だとか、仕事についての悩みのほうが崇高なのだと。そんなこと言う人が今まで周りにいなかったから、そういう一言にも距離を感じる。もう関わり合いになりたくないと思う。優しい人に甘やかされて生きてきた自分にはちょっと厳しすぎるかなぁ… 


ただでさえ五月病とか言って誰もが落ち込むタイミングなのに。しっかりしようと背を伸ばすたびに現れる深い落とし穴。 

もうずっと底で耳を塞いでいる。何も無くただ引きこもっていただけの頃には何がそうさせていたのか、今では思い出せないけれど、それでもずっと同じところにいることは確かだ。 
薄い闇に染まる水の中を、漂い浮かび上がる泡沫のように遠のいて消えていく現実。